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昭和産業株式会社
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PROJECT 03

海外支援プロジェクト
ベトナム インターミックス社

商品開発研究所
無糖ミックスグループ
開発担当
関塚 淳
海外事業部
営業担当
今田 健啓
インターミックス社出向
開発担当
門倉 英樹
商品開発研究所
無糖ミックスグループ
開発担当
関塚 淳
海外事業部
営業担当
今田 健啓
インターミックス社出向
開発担当
門倉 英樹

※取材当時の内容・所属部署です。

困難な課題と向き合い、
ベトナムの厳しい現実を
乗り越えていった。

昭和産業が出資するベトナム企業がある。東南アジア有数の経済都市であるホーチミン市に本拠地を置くインターミックス社だ。同社は有力製粉メーカーであるダイフォン製粉が2003年に設立した、ベトナム最大のプレミックス製造メーカーである。昭和産業はベトナム経済の成長に伴う食の多様化と、現地で冷凍食品を生産する日系食品メーカーからの需要を見込み、2012年9月、同社へ技術支援と資本参加することを発表。同年12月には、商品開発センター(当時)所属の関塚を現地へ送り込む。インターミックス社で、天ぷら粉や唐揚げ粉など、フライ用プレミックスの開発を担当させるためだ。関塚は無糖プレミックス開発のスペシャリストとして、商品開発の技術を現地の技術者に伝えるつもりで赴任したが、対処すべき課題は商品開発の枠を大きく越えるものだった。「商品を開発するだけでなく、工場の改善活動にはじまり、品質保証体制の確立に対処するため、まずは整理整頓や清掃の大切さを伝え、習慣化するところからはじめなければなりませんでした」。

日本とは異なる条件下で、
いかに日本品質を再現するか。
それが最大の障壁だった。

国内での営業窓口と、インターミックス社への経営支援を担当することになった海外事業部の今田は、昭和産業にとって初となる東南アジアでのビジネスに意気込みを感じていた。「インターミックス社と昭和産業は別会社とはいえ、お客様は昭和産業のブランドを信用して取引をしてくださいます。失敗するわけにはいきません」(今田)。しかし日本とは異なる条件下での開発は困難を極めた。「工場の衛生管理レベルを引き上げる傍ら、ベトナムで入手できる限られた原材料で日本並みの品質が求められます。現地スタッフとのコミュニケーションで言葉の問題から細かなニュアンスが伝わりにくかったことも障害でした」(関塚)。「彼のプロジェクトにかける熱意と、国内の技術陣の支援、そして現地スタッフの努力がなければ、到底いまのレベルまで品質を高めることはできなかったと思います」(今田)。

昭和産業にとって切なる
東南アジアでのビジネスは、
困難を乗り越え追い風を掴んだ。

ベトナム市場への参入から約1年。関係者の努力が実り、課題が山積していたベトナムでの生産にも一定の目処が立った。基礎固めが終わるとインターミックス社は、創業以来続いていた成長がさらに加速する。「日本向けの冷凍食品が主力でしたが、冷凍エビフライやエビ天の需要がアメリカやEU、韓国にもあることがわかり、徐々にプレミックスの需要も増加していきました」(今田)。そんな中、現地でお好み焼きに似たベトナムの定番料理である「バインセオ」向けプレミックスの販売が大きく伸びはじめた。競合他社の商品より味・食感が優れていることが広く認知され、ブランド化したことが要因であった。さらにインターミックス社が提供するプレミックスから、ヒット商品が生まれる。日本ではお馴染みのどら焼きだ。「現地で手に入る原材料を使ってどら焼き用のプレミックスを開発し、ご提供したところ人気商品になりました。実は日本のアニメの影響でベトナムでのどら焼きの認知率は高いんです。意外でしたがヒットしたのは嬉しかったですね」(今田)。輸出先の広がりと現地での需要を掴みはじめたインターミックス社には、さらなる追い風が吹きはじめていた。

日本からの支援を受け、
第2フェーズに突入した
インターミックス社のビジネス。

ベトナム経済の好況を受け、現地では、「バインセオ」だけでなくスポンジケーキや中華まん用プレミックスが販売数を順調に伸ばしていった。そんな中、立ち上げ役をまっとうした関塚が帰国することになる。2016年4月、関塚の後任として着任したのは、日本とアメリカで開発経験を積んだ門倉だった。彼が取り組むのは、インターミックス社の業績拡大という新たなミッションだ。「関塚が苦心して開発したフライ用のプレミックスに加え、パンやケーキ類に使われるベーカリーミックスの開発にも注力し、インターミックス社の成長につなげたい考えです」(門倉)。現在、彼は前任者の関塚と今田らの支援を受け、商品開発と販路の拡大を後押しするため、工場の拡張やそれに伴う安全・品質管理体制の確立に力を注いでいる。「急速な経済成長に後押しされ、現地で消費されるプレミックスにも高い品質が求められるようになりました。その期待に応えることがこれからの課題です」(門倉)。関塚や今田らが築いた実績をさらに輝かせるため、門倉は現在、八面六臂の働きでその期待に応えようとしている。インターミックス社の躍進はまだはじまったばかりだ。

プロジェクト後記

最後に、言語や文化が異なる海外プロジェクトから得た教訓を訪ねると、3人は「曖昧さを排除したコミュニケーション」、「異文化を許容し、敬意を示すこと」、そして「日本のやり方を押しつけないこと」が、現地でいかに重要な意味を持つか、ベトナム人との対話の中で学んだと話す。昭和産業の海外プロジェクトは中国に次いで、ベトナムはまだ2例目に過ぎない。世界経済の成長エンジンになりつつある東南アジアで、どれだけ昭和産業の存在感を高めることができるだろうか。
彼らの挑戦はこれからも続く。