室町時代
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ポルトガルから南蛮料理として、天ぷらの調理方法が伝わる
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語源は、ポルトガル語の「テンポーラ(temporas)/
四季に行う斎日」という説が有力のようです。カトリックでは、四季に行う斎日(テンポーラ)で祈祷と断食を行い、その間は肉食を禁じ、代わりに野菜や魚に衣をつけて揚げた料理を食べていたそうです。
日本の天ぷらの起源といわれる「長崎天ぷら」は、16世紀頃にポルトガル人から伝わったと言われています。衣は、小麦粉、卵、酒、砂糖、塩を混ぜ、水は使いません。厚いフリッター状の衣はしっかり味がついており、中身と衣の両方を味わいます。
江戸時代初期は庶民の味として、立ち食い屋台でおやつ感覚で食べられていたそうです。これは、油の価値が高く、そう頻繁には揚げ油を取替えることが出来なかったことや、揚げたてが肝心なことから料理屋での調理には向かなかったことが原因のようです。
江戸に広まった江戸天ぷらは、薄い衣で味も風味を残す程度にして、天つゆをつけて食べます。
明治・大正時代
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<明治>天ぷら料理の専門店や料亭が出現 <大正>江戸天ぷら(現在の天ぷら)が全国に広まる
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天ぷらの専門店も見られるようになりますが、江戸の料理から日本全国で食べられるようになったきっかけは、関東大震災による東西の職人の交流とも言われています。東京でも関西風の天ぷら(薩摩揚げ)が食べられるようになり、一方江戸天ぷらも職人が全国に広めました。
戦後は、家庭でも油で揚げる料理が手軽となり、栄養も豊富な天ぷらは、広く食卓でも手軽に食べられるようになりました。
1960年
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米国ロサンゼルスで家庭用天ぷら粉「SHOWA TEMPURA BATTER MIX」発売
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「アメリカの家庭で誰でも上手に天ぷらを揚げることができないか」という要望を受けて、ロサンゼルスで「SHOWA TEMPURA BATTER MIX」を発売しました。これが「昭和天ぷら粉」の歴史の始まりです。
当時の日本では小麦粉を使って上手に天ぷらを作るのが当たり前と思われていましたが、アメリカでの発売をきっかけに国内でも発売したところ、大ヒット製品となりました。
「昭和天ぷら粉」のトレードマークとなる赤と金色の太陽マークも、この時に完成したもので、今も変らぬデザインで皆様に親しまれています。
1983年
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黄金色にカラッと揚がる高級天ぷら粉「昭和天ぷら粉 黄金」発売
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今でこそ惣菜売り場などの天ぷらは黄金色でサクッとした食感が当たり前となっていますが、そうしたコンセプトの天ぷら粉が初めて登場したのが「昭和天ぷら粉
黄金」です。スーパーの売り場で色合いがおいしそうで、時間がたってもサクッとした食感が持続するということで、全国のスーパーに業務用天ぷら粉として瞬く間に広がりました。
その後家庭用としてもヒットし、現在でも家庭で手軽に楽しめる高級天ぷら粉としてロングセラーとなっています。
1989年
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ふんわり揚がるフリッタータイプ「昭和 洋風天ぷら粉」発売
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1995年
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天ぷら初心者でもサクッと簡単に揚げられる、お客さまのニーズに応えた機能性天ぷら粉「昭和天ぷら粉
楽々天」発売
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1990年代後半からは、食生活の多様化とともに、家族形態や好みに合わせた様々な新製品開発やリニューアルを行ってきました。
2001年
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業界初のスグ溶け製法で、サッと溶けてカラッと揚がる、ライトな食感の機能性天ぷら粉「昭和
天ぷら大サクッ戦!」発売
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2006年
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少ない油でカラッと揚がる「フライパンでできる昭和天ぷら粉」発売
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2008年
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開封しやすく、分別不要の包装形態に変更(包装重量30%削減)
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2020年
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「おいしく揚がる魔法の天ぷら粉」の使い切りタイプを新発売。
初心者でもほめられる天ぷらが簡単に作れます。
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