いよいよ国内発売が決まった「天ぷら粉」。本格発売に向け、料理とは無縁の男性タレント(落語家)を起用したテレビCMを放送すると話題に。さらにできることはないかと知恵を絞る社員たち。そこである作戦を思いつきます。大ヒットへと繋がった、その作戦とは?"日本では売れない"というのが社内の大方の意見でした。せめて市場調査ぐらいはしてみようとアンケート調査を実施すると、意外な結果が...。
第三章 国内販売編(下)~「天ぷら粉の昭和」へ~
解説①
国内発売が決定したものの、商品パッケージのデザインは決まっていませんでした。一刻も早く発売したいが、デザインを考える時間ももったいない...ということで、すでに発売していたアメリカ向けのデザインをそっくり使うことに。アメリカ向けの天ぷら粉は、太陽・ひまわりをベースにしたもので中心の〇が緑、光の部分が黄色のデザインでした。ところが、その当時、日本の食品業界では寒色系の色を使うのはタブー。結局、中心の〇の緑を赤に変更、さらに、ちょうどその頃印刷技術の向上で使用可能になった金色を光に近いイメージということで採用しました。
解説②
パッケージの色使いには裏話があります。赤をポリエチレン袋に印刷するとどうしても鮮やかさが出ませんでした。いろいろと考えた末に、黄色を赤の下に敷いてみると目の覚めるような鮮やかな赤が出現!この鮮やかな赤は、天ぷら粉ヒットの大きな要因の一つであったとさえ考えられ、白をベースにした赤・金・黄色のデザインはこうして誕生しました。
解説③
ついに発売となった「昭和即席天ぷら粉」。当時の食品業界は即席ばやりで、なんでもかんでも"即席"を冠すれば関心を引いていた時代。また、当時は贅沢品だった「卵入り」も大きなセールスポイントでした。消費者に対する販促もいろいろ実施しましたが、なかでも天ぷら粉のサンプルを団地のポストに入れる「見本配布団地大作戦」(令和の時代となった今では考えられない話ですが...)の効果はてきめんで、簡単においしくできる天ぷら粉の噂はあっという間に広がりました。業務用も最初は見本作戦で、盛岡の旅館一軒一軒に見本を配って回ったところ、これが予想外の返り注文となり、「金天」続いて「銀天」を発売することに。こうして一般家庭だけでなく、食品業界に広く「天ぷら粉の昭和」として知られるようになっていったのです。
未来へと引き継がれていく「SHOWA魂」
既成概念にとらわれず発想の転換を図り、日本初の天ぷら粉プロジェクトを成功させた昭和産業。社員一丸となって試行錯誤を重ね、奮闘したことが成功への足掛かりとなりました。みんなで力を合わせ、一つの目標に向かってチャレンジすることは、必ず何かを動かし、何かを成し遂げることに繋がります。また、そう信じることで未来は大きく変わります。既成概念にとらわれない"SHOWAイズム"の精神は「SHOWA魂」として、この先の未来へと引き継がれていくことでしょう。